コラム

遺言でお寺になった金閣寺

有名な金閣寺は公卿の別荘だったのですね。
足利義満の遺言で鹿苑寺となり、
金閣寺と呼ばれるようになりました。
遺言が無ければ寺にもならず、名跡とならなかったかもしれません。
遺言で歴史が変わることもあるのです。

金閣寺HPより
金閣寺について | 金閣寺 | 臨済宗相国寺派 (shokoku-ji.jp)
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。
義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。