コラム
上杉謙信の遺言
謙信は「四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒」と、辞世の句を残しています。
漢詩を詠む力があるのなら、遺言を伝える力も残されていたでしょう。
でも、どんな遺言があったのかわかっていません。
景勝は姉である仙桃院の子、景虎は北条氏康の子。謙信は景虎の事を気にったとされています。
しかし、姉と上杉家の事を考えたら景勝を跡目にするのが普通でしょう。
景虎を跡目にすれば、国が割れることが予想されます。仮に景虎にその気が無くても北条が支援するでしょう。
このような状況で景虎の処遇に手を打たなかったのは、名将謙信の不備と言われても仕方がありません。
景勝は「謙信公の遺言」として春日山城を直江兼続と占拠し、自分が後継者であることを宣言しました。
そして景虎と戦って倒すしかなかったのです。
もしも謙信が「自分が亡くなった場合は景虎は北条に返す、そして北条から景勝に嫁を取る。」
このようにすれば景勝と景虎が争う御館の乱は起きなかったかも。
そして上杉・北条連合で家康に対抗できたかもしれません。
誰も自分の死期を知ることは出来ません。
自分が元気なうちに終活をするのか。病気になってから慌ててするのか。
先人の生き方から学ぶのもひとつの方法ではないでしょうか?