コラム

豊臣秀長の遺言

大河ドラマ『豊臣兄弟』が始まりました。 調子のよい藤吉郎と、堅実な弟・小一郎のコンビには、明るく楽しい物語の予感が漂います。

やがて豊臣秀吉は関白となり、秀長はその右腕として権大納言に任じられました。しかし、九州平定ののち病に倒れ、小田原攻めには参加できず、52歳でこの世を去ったとされています。血縁の少ない成り上がりの秀吉にとって、秀長はかけがえのない存在でした。

秀長の遺言は文書としては残っていませんが、軍装や伝承、記録などから、口頭で秀吉に以下のような言葉を残したと伝えられています。

  1. 「天下は人の心で保つもの。驕りを慎み、諸大名を大切にせよ。」
  2. 「秀次を大切に育てよ。」
  3. 「朝鮮出兵は慎むべき。」

これらの言葉が事実かどうかは定かではありませんが、弟として兄・秀吉を案じる心からすれば、こうした思いを抱いていたとしても不思議ではありません。

とくに、自身の死後は諸大名の協力に頼らざるを得ないこと、そして実子・秀頼が幼すぎるため、養子である秀次を大切にすべきだというのは、極めて現実的な助言です。注目すべきは、石田三成に秀頼の補佐を任せよとは言っていない点です。三成は優秀で秀頼思いだったかもしれませんが、諸大名と円滑な関係を築ける性格ではありません。秀長は、三成に任せればいずれ揉め事が起きると見抜いていたのでしょう。

また、朝鮮出兵についても、たとえ戦に勝ったとしても、秀吉の寿命がどれほど残されているか分からない状況を考えれば、慎重な姿勢を示すのは自然なことです。

少なくとも、秀長が最期の時まで秀吉を支え続けたことは、疑いようのない事実であり、その姿勢こそが彼の遺言だったのかもしれません。